Vol.14 Share on Facebook Share on Twitter

「気持センシングラボ」対談 第7回 (前編)
テクノロジーの役割は「豊かさ」を実現すること

最新のテクノロジーを使って人々の気持ちや感性を分析し、真の意味での「心地よい」マーケティングの実現を目指す企業間プロジェクト「気持センシングラボ」。そのメンバーの一社で、「感情に関わるデータ」の分析・活用を手がけるSOOTHの代表取締役・額田康利氏と、この4月から同社のスーパーバイザーに就任した芝浦工業大学名誉教授の大倉典子氏、そしてプロジェクトのまとめ役である大広の山口大道の3人による座談会を2回にわたってお届けします。

本記事は、博報堂DYグループ“生活者データ・ドリブン”マーケティング通信に掲載されたものを転用しています。

左:SOOTH株式会社 代表取締役 額田康利氏
中央:芝浦工業大学名誉教授 / SOOTH株式会社 スーパーバイザー 大倉典子氏
右:株式会社大広 顧客価値開発本部 東京第2顧客獲得局 小澤チーム プロデューサー 山口大道

感性を工学的に可視化する

山口:大倉先生は「かわいい」という感性に着目した研究を続けていらして、『「かわいい」工学』という著書も出版されています。まずは先生の研究の内容についてご説明いただけますか。

大倉:人は焦ったり緊張したりすると手に汗をかきますよね。発汗すると皮膚の電気抵抗が変わるんです。それを計測するのが私の卒業論文のテーマの一部でした。人間の身体反応を数学的にモデル化するだけでなく、生体信号を実際に計測したわけです。大学院に行ってからは、先輩が自作した計測器で脳波をとったりもしました。

大倉典子

その頃から私は、「好き」とか「嫌い」とか「気持ちがいい」といった感性は人間にとってとても重要なことだと思っていました。でも理系の世界は論理が重視されるので、「感性が大事」と言っても誰にも相手にされないわけです。ようやく1990年代になって、「物質的・経済的価値だけではなく、感性にも価値がある」という考え方が出てきて、感性工学という分野が誕生しました。日本感性工学会が発足したのは1998年のことで、私が感性に注目してからずいぶん時間が経っていました。私は世の中を先取りしていたんだなあ、と我ながら思いましたね(笑)。

山口:海外における感性を重視しようという動きはどういった状況ですか。

大倉:欧米は論理社会ですから、感性に注目する動きは日本よりも遅かったんです。ビジネスにおいて「やる気」「モチベーション」といった感性的要素が重要であると言われ始めたのは、10年くらい前からじゃないでしょうか。

山口:では、感性の研究において日本は外国をリードしているわけですね。

大倉:ところがそこが日本の弱いところで、学術の領域では、MITの先生が提唱している「アフェクティブ(感情)コンピューティング」という分野にあっという間に追い抜かれてしまいました。アイデアは優れていても、社会実装を目指す過程で後発の国に抜かれてしまう。これは日本の学術界ではよく見られるケースです。

額田:「感性」ということについて少し補足させていただくと、「感性」の下位にある概念として「情動」と「感情」があります。「情動」とは一次的で短期的な心の動きで、動物的欲求に近い概念です。「感情」はそれよりも理性的で、ある程度コントロール可能なものです。それに対し、「感性」はより高次の心の働きで、経験の積み重ねやライフスタイルを通じて形成された価値観をベースにしたものであると考えられます。

では、なぜマーケティングにおいて感性が注目されるようになったのか。近年の生活者の価値観やライフスタイルは非常に多様化していて、これまでのようなデモグラフィックで静的なデータでは、生活者の本当の欲求や行動パターンを把握できなくなっているからです。そこで、個々の生活者のライフスタイルの中で形成される感性に注目する必要が出てきたわけです。
大倉先生はその感性を工学的に可視化する学術的なノウハウをお持ちです。そのお力をぜひお借りしたいと考え、今年の4月からスーパーバイザーとしてわが社にお招きしました。

学術とビジネスの理想的なコラボレーション

山口:最初の出会いは、昨年の「デジタルコンテンツEXPO」だったそうですね。

大倉:学生のVRコンテストの審査員としてイベントに参加していて、たまたまSOOTHのブースで「脳内モニター」を見たんです。

山口:脳内の信号を計測し、「集中」とか「リラックス」といった指標で可視化されるアプリケーションですよね。

気持センシングラボ対談第2回より https://seikatsusha-ddm.com/article/07638/

大倉:そうです。あれは専門家の私から見てもとても画期的だと思いました。そこで名刺交換をして、いろいろな話をさせていただきました。
私の工学研究者としての研究歴は長くて、その中で論文をたくさん書き、国際学会で発表し、学生も育ててきました。でも、大きな課題を常に感じていました。自分の研究が世の中に実装されていないという課題です。理学は真理の追究をすることを目的とする学問ですが、工学は世の中の役に立たなければなりません。しかし、自分の研究の成果はほとんど役に立っていない。そのことに長年悩んでいたわけです。

額田:そこにSOOTHと大倉先生のコラボレーションの意義がありました。大倉先生には学術領域での申し分ない実績がある。僕たちはそれをビジネスの力で、社会実装につなげていくことができる。そう考えました。

山口:現代は、単独ですべて完結させるような時代ではないですからね。何が足りないかを明確にして、外部にそのリソースを求めることによって、できることを拡張していく。そういった方法論をまさに実践されているわけですね。

なぜ、技術のホワイトボックス化が必要なのか

額田:人間の感情には、ネガティブな状態とポジティブな状態の縦軸があって、さらにそれぞれに落ち着いた状態と興奮した状態の横軸があります。その2軸で4象限にプロットすると、喜怒哀楽になるわけです。大倉先生は、それを工学的アプローチで明確にされています。それだけでなく、大学院を卒業された後に、会社勤めのご経験もあって、ビジネスのことも理解されています。いわば、単身で産学連携を体現してこられたわけです。先生とご一緒できれば、世にたくさんある学説の中で何に着目して、それをどういう過程で実装していけばいいか、その道筋も明らかになると僕たちは考えました。

大倉:私が額田さんたちにとても共感したのは、技術のホワイトボックス化を目指しているところでした。写真を撮る人はカメラの構造を理解しているわけではないし、車を運転している人は車がどのような仕組みで走っているかをよく知っているわけではないですよね。テクノロジーは使い手に対してブラックボックスになっていることが普通なんです。でも、SOOTHは、そこをあえてホワイトボックスにして、技術の使い手が納得できるようにしたいと考えている。そこがほかのテクノロジー企業とは違うところだと思いました。

額田:感性や感覚を可視化する技術をマーケティングに活用しようとする場合、「クライアントに気に入られようと思って都合のいいことを言っている」と思われるのは一番まずいと僕は思っています。僕たちが提示している指標は、学術的に正しいプロセスによって導き出されたものであり、恣意的なものではない。それを明確にすることが必要で、そのためには技術のホワイトボックス化を目指す必要があるわけです。

山口:それは簡単なことではないですよね。とくにビジネスの効率化が求められる昨今、「ブラックボックスのままでいい」という判断も当然ありうると思います。それを手間とお金をかけてホワイトボックスにしようとしている。その姿勢が素晴らしいと思います。

額田:結局そこは、「何のためにビジネスをやっているのか」という根本にかかわる問題なんです。僕たちは、世界がより豊かになることを求めてビジネスをやっています。では「豊かさ」とは何か。豊かさとは簡単に言えば、マッチングの精度が上がることだと僕は思っています。人が求めているものと、それを満たしてくれるもの。その両者のマッチングです。それは人とサービスかもしれないし、人と商品かもしれないし、人とコンテンツかもしれない。あるいは、人と人かもしれない。

額田康利

しかし、現状ではそのマッチングの設計は表層的なところにとどまっています。なぜなら、人が本当に求めているものは、無意識の領域にあるからです。人が自分のことを意識できるのは1割だけで、残りの9割は無意識だと言われています。それを把握することができなければ、深いマッチングは実現できないし、豊かさを実現することもできません。だから、無意識の領域をテクノロジーによって解き明かしていくことがこれからのマーケティングには求められると僕は思います。

山口:なるほど。技術をホワイトボックス化するということは、そのマッチングの原理を明らかにしていくということですよね。それによって、誰もが理解し納得できるソリューションになる。大変共感します。

額田:そういうことですね。豊かになる道筋を明らかにすること、と言ってもいいかもしれません。

山口:その志は、気持センシングラボが掲げる「生活者にとって本当に心地いいサービスやコミュニケーションを生み出していきたい」という思いと完全にリンクしていると思います。「本当の心地よさ」というのは感覚的なもので、なかなか言語化しづらい。まさに無意識的なものです。そこをテクノロジーによって明らかにしていくこと。それが、僕たちがとても大切にしている部分です。

額田:同じ思いを持っている人が集まることによって、仕組みの精度が上がり、豊かさの実現に近づいていくことができる。そのためのプラットフォームが気持センシングラボであると言っていいと思います。

生活者の「心」に迫るチャレンジ

山口:最近、テクノロジー領域においてホワイトボックス化の議論が盛んになっています。やはり、テクノロジーには常にブラックボックス化してしまうリスクを孕(はら)んでいるのでしょうか。

大倉:テクノロジーそのものの原理の問題もあります。例えば、AIはニューラルネットワーク(神経細胞網)の仕組みを使ったテクノロジーなので、そこで処理されるプロセスを完全にホワイトボックス化することは原理的に不可能です。ただし、AIにインプットする情報を変えて、それによってアウトプットがどう変化するかを見ることで、ある程度のホワイトボックス化は可能になります。

額田:感性に関わるテクノロジーのホワイトボックス化を目指す場合、最大のハードルになるのは「自分のすべてを知られたくはない」という一種の羞恥心です。自分が本心では何を考えているのかとか、内心どんな感情を抱いているのかといったことは、誰だって知られなくないですよね。

大倉:脳波や視線や発汗などを24時間計測して分析すれば、「感性のホワイトボックス化」はある程度可能になります。しかし技術的に可能でも、それに応じてくれる被験者はいないでしょうし、プライバシーの侵害になるという問題もありますよね。

額田:とはいえ、感性のテクノロジーのホワイトボックス化を目指すなら、諸条件のバランスをとりながら、そこにチャレンジしていくことは必要だと思っています。重要なのは「人々の豊かな生活を実現するため」という軸を決してぶらさないことです。そのために必要十分なデータを最適な方法で集めていく。そういうことではないでしょうか。

山口:テクノロジーを活用するのは、豊かさの実現のため──。その視点は忘れないようにしたいですね。

山口大道

後編に続く

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